*森 澄雄 億年のなかの今生実南天 俳句 -ときがわの 南天の実-
-ときがわ風景- 撮影:埼玉県比企郡ときがわ町 南天の実
億年のなかの今生実南天 森 澄雄
(おくねんのなかのこんじょうみなんてん)
〈いろはno思いこみ鑑賞〉
「悠久の時間の中に一瞬のまたたきほどに短い一生をいとおしむ」
「人生もまた永遠に流れる時間の中の一点に過ぎぬ。」
これらが澄雄の俳句の特徴であるようです。
無限の風景のなかに、在る真っ赤な実南天。その存在感。
億年をうちに蔵して存在している真っ赤な実南天の存在。
「NASAハッブル宇宙望遠鏡が、地球から129億光年離れた星を観測した」という。(朝日新聞デジタル記事 2022年3月31日) 地球の誕生は、今から46億年前で、生命誕生は、今から約35億年前というから、
生命もなく、地球も未だ存在しなかった過去を、現在、我々がこの目で見ているということである。何という不思議!
人類も生命も地球も存在しなかった過去の光が今地球に到着し、今我々人類がそれを受けている。その光と同時にある。この不思議。
こうなると、もう万年も億年も何もかもが今に結集する。過去が現在であり、現在が過去であり、未来が現在であり、現在が未来である。
今の実南天そのものに一切が顕現している。
億年の一部分を構成する今ではない今。遠いと近いの比較ではない今。「なか」という限定された空間の中の今ではない今。
そのまさに今の実南天そのものの中に絶対世界が現れきっている。
この句は、実南天そのものの永遠性を表現していると。
限定された「今生」ではない今生。その存在。ゆえの、
まさにこの真っ赤な実南天を素直に味わうことができる。
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ここ「ときがわ」に、このとおり今、 真っ赤な実南天 が存在している。
これを見ている目が、これをみている心が、今ここにある。
*〈いろはno思いこみ鑑賞〉については、下のリンク参照
*森 澄雄 億年のなかの今生実南天 俳句鑑賞