相対世界に生きる「プラス・マイナス・ゼロ」の世界

★この記事は、過去の記事を書き換えたり、それに新たに書き足したりものです。


相対世界に生きる

 定年退職後は、この田舎の町からしばしば東京都内へ出かけていました。

 しかし、コロナの騒ぎが始まってからは、感染を避けるため、田舎のこの家にずっと閉じこもって静かに暮らしていました。基礎疾患を持っていたからです。そうしているうちに、あっという間に3年が過ぎてしまいました。そして現在、いつの間にか古稀を迎えようという歳になっていました。

 コロナ渦中のこの3年間は、一度も電車に乗ったことがなく、一度も外食をしたこともありませんでした。もちろん、3年間一度も東京へ行ったことがありません。

 ところが、どうしても参加しなければならない用件があり、この3つを今日、解禁しました。電車にも乗り、東京へも行き、外食もしました。

 いよいよ解禁。これを機に、これからは前と同じように、どこにでも出かけていきたいと思いました。いよいよ旅にも出かけることにしましょう。また、音楽を聴きに行くこともできます。

 身体の動くうちは、いろいろなことを味わっておきたい。旅に出て、素晴らしい景色を眺めたり、音楽、絵画、演劇や映画を鑑賞するのもいいし、美味しいものに舌鼓を打つのもいい。

 いつもの道をゆったりと散歩するのもいいし。さわやかな風に夕涼みをするのもいいし、ひとりしずかに川面を眺めるのもいい、一杯の冷たい水を味わうのもいい。

 夕澄みて楓若葉の月遊び  いろは
  ゆうすみて かえでわかばの つきあそび



 改まった特別なものでなくて、その時その時に、そこらに転がっている、一期に一会の味わいをかみしめたい、味わっていきたいと思いました。今日3年ぶりに東京へ出たら、特に強くそれを思いました。

 帰ってから、寒さの中、風呂につかり、風呂の温かさをじっくり味わいます。一杯の茶を入れて、その渋さをよく味わって飲みます。これが何ともいえません。そうしているうちに、以下のようなことを妄想していました。

「プラス・マイナス・ゼロ」の世界

 人は相対世界に生きているんだなあ。
 贅を尽くした生活も、それが連続しふつうになれば、すぐに飽きが来る。それで、さらなる贅沢をのぞみ求める。それにもすぐに飽きが来る。このくり返しには、切りが無い。(*もっとも贅を尽くした生活など、経験したことないから、これはあくまで想像です。)


 逆に、贅沢をしないからこそ、ものの味わいがわかる。そのありがたさを感ずることができる。そのものの素晴らしさを味わうことができる。(*これは経験談です。)

 美輪明宏さんが、「プラス・マイナス・ゼロ」といっていました。「プラス・マイナス・ゼロ」とは、わたしなりの言葉に言い換えると、人は相対世界の中に生きているということです。

 苦が全くなく、楽ばっかりが不断に続いていたら、それは楽だとさえ判断できないでしょう。同じように、苦ばかりが不断に続いていて、楽の味を経験しないなら、それは苦しみだとさえ分からないでしょう。このように、楽がなければ、苦はあり得ない。逆に、苦がなければ楽もあり得ない。楽も苦も相対的なものである。

 生ということを言うから、死ということを言うことになるのと同じです。何も命名しなければ、生も死もない。マイナスということを言うには、プラスということを言わなければならなくなる。プラスもマイナスも、それ自身1つだけでは成り立たない相対的なものである。

 「いろは」の解釈では、これがプラス・マイナス・ゼロの所以です。



 マイナスが大きくなれば、小さな喜ばしい事態でも、大きな喜びになる。

 それなら、これは「いいな」と自分が思ったことは、やってしまった方がいい。失敗してもプラス・マイナス・ゼロの世界のことなのだから。どうせ相対の世界のことなのだから。どうということはないです。
 
 と言いながら、したことを後悔するのが人間の性(さが)。つまり人間性です。宮本武蔵が「われことにおいて後悔せず」と言ったとか。武蔵もことある毎に後悔していたのでしょうね。だから、そう自分に言い聞かせていたのでしょう。ですから、武蔵も人間性豊かな人です。これは、わたしの経験からの推察ですが。



 いつの間にか、こんな夢想をしていました。
 東京へ行った話にもどします。東京は、3年前と変わっていませんでした。相変わらず、どこがどこやら、分かりません。自分がどこにいるのかが分からない、ナビが必要です。何しろ3年ぶりに電車に乗った人が、3年ぶりに東京の地をふんだのですから。

 3年前から現在にタイムスリップしたようなもので、浦島太郎でした。
 駅では、クレジット機能付きの「スイカ」が、使えなくなっていました。3年間使わなかったので、機能を停止されていたのです。それを解除してもらって、はじめて使えました。

 そういえば、浦島太郎の竜宮生活も3年間でした。
 一晩寝たら、東京へ行った疲れもすっかり取れて、さわやかな朝を迎えました。

  花胡桃 小鳥浮きたつこゑの朝  いろは
 はなくるみ ことりうきたつ こえのあさ