いざ句会へ -いろはの「それなりに俳句ライフ」・3- 


 いろはの「それなりに俳句ライフ」・3 いざ句会へ

「はばからず  うちいだすなり  ごうしちご」の勢いにのって、「五七五の短歌」を引っ提げて、すぐに句会に参加しました。

今まで2年程続けてきた短歌の五七五七七の「七七」の部分を削っただけの「短詩」をいくつか作ってみました。これで、「俳句」ができたと思っていました。

それで、この程度の俳句をいくつか作ったという経験だけで、いきなり句会に参加してしまったのでした。

最初に句会に行ったときは、見学ということで行きました。会の様子を見学していましたが、席題というその場で俳句を作る題が出され、作ってみたらと言われたのでその場で作りました。席題は「冬草」でした。

その日の午前中に散歩に行ったときに見た様子を五七五にしました。そこは「いろは」のお気に入りの場所で、秘密の場所です。畦の周りを優雅に飛び回っていた紋黄蝶が、冬の草に舞い降りてしばし休息している姿が、心に残りました。蝶は再び飛び立って行きました。

日溜まりの冬草の先紋黄蝶      いろは

ひだまりの ふゆくさのさき もんきちょう

これが、句会での私の初めての句、記念碑的な句です。
この句について「季重なり」であるというご指摘をいただきました。「季重なり」???・・・って「何」?
指導される方が、「季重なり」について教えてくれました。

「季重なり」と言って、基本的には季語が2つ俳句の中にない方がいいそうです。初心者は特に、季語は1つで俳句を作った方がよいそうです。そういう初歩的な言葉さえ知らないで、超初心者が無謀にも句会に参加してしまったのですから、橘守部の感化は大したものです。

五七五に言葉を当てはめて、句を作れば良いのだろうぐらいのつもりで、いきなり句会に参加してしまったのですから。「歳時記」という本が俳句を作るときには、必要であることなども、その時知りました。その「歳時記」でよーく調べて、季語を一つだけ入れるきまりらしいのです。さっそく、帰ってから「歳時記」を注文しました。

句会の方々には大変ご迷惑をおかけいたしました。すみません。しかし、とても勉強になりました。みなさん、とっても優しくて親切な方ばかりで居心地が良かったです。

句会では、参加されていた方々の俳句を直に読むことができたのが、面白かったです。すばらしい句ばっかりに思えました。場違いなところに来てしまった感はありましたが、こちらには、何しろ橘守部さんついているのですから、ノープロブレムです。

句会の進め方なども体験できました。句会に参加すると、自分の句を読んでもらえるのも楽しみです。こういう交流の場がいいのでしょう。何しろ生身の人と人が直接肉声、肉筆をもって俳句を通して交流するのですから。一生のうちの一期一会の貴重な体験になります。



ところがです。しばらくすると、コロナ禍で相次いで句会が休止状態になってしまいました。それ以降句会には、参加していません。基礎疾患を抱えていて、3年間電車にも乗らず、外食もしていない身の上です。(でも、今度3月15日には、東京へ出ます。3年ぶりのコンサートでわくわくしています。)

それで、やむを得ず、歳時記片手に、素手で俳句に取り組んでいます。指導者もいませんし、五里霧中です。春になったら、また句会にも参加してみようかなと思っている今日この頃です。

このようにして、句会に行って、「歳時記」というのが必要であること、季語を入れること。季語が2つ入っていると、よろしくないということを教えていただきました。

現状はそんな感じで、俳句は、今年3年目です。自己流ですから、自分の句は、俳句になっていないかもしれません。大体「五七五」には、なっているみたいです。時々指を折り間違えて、数が多くなったりしますが。

ですから、わたしは「思いこみ俳句」「思いこみ俳句鑑賞」と言っています。作品中心ではなく、自己中心的な思いこみの「俳句」であり、「俳句鑑賞」です。

 *いろはの「それなりに俳句ライフ」・3

3月11日

ゴールデンウィークを予感させるような、近頃の陽気です。そのためか、庭に狸(たぬき)が遊びに来ていました。防犯用カメラを再生したら、夜中の暗闇に狸が映っていたのです。恋人同士でしょうか、二匹で遊んでいました。そして、猫も何匹かやって来て、夜のカメラに写っています。青春を謳歌しているのか。一生懸命盛っていました。

恋猫の瞳まっすぐ透きとほり  いろは

   こいねこの ひとみまっすぐ すきとおり