富田木歩 かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花 -俳句鑑賞- 

 *富田木歩 鳳仙花 -ときがわ秋-

 

かそけくも 咽喉鳴る妹よ 鳳仙花  富田  木歩 
かそけくも のどなるいもよ ほうせんか  ・かそけし(形ク)かすかだ

〈いろはno思いこみ鑑賞〉

 死の近い妹の喉のかすかな喘ぎ。鳳仙花のはかない美しさを妹のそれに重ねて、このはかない命と共にある鳳仙花。

 

 木歩のもっとも愛情をそそいだ薄命の妹。彼女は逝った。享年十八。木歩二十一歳。木歩とその弟妹の境遇を聞くと、涙なしにはよめない句。

 

 有無を言わせぬ事実(死等運命)の来たるとき、その運命を受け容れて、最後の最後に残るのは慈悲のみ。いつくしみ。

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「いのち」の出合いの象徴としての鳳仙花。
日常生活に忙しく埋没してしまっている我々には、そういう「いのち」の出合いは見えにくいが、この句の鳳仙花の中にはそれがある。

 

木歩の心は、鳳仙花となり、妹のいのちに寄り添う。木歩-鳳仙花の声がする。
「妹よ、ずっとおまえといっしょだよ」と。

 

この声を聞いたら、妹のかそけき息は、落ち着きをとりもどし、安らかな息となっていくでしょう。鳳仙花の世界の中に。
「おまえのままがいいんだよ」鳳仙花の声がする。

*〈いろはno思いこみ鑑賞〉については、下のリンク参照

*富田木歩 鳳仙花 -ときがわ秋-