
★掲載後、たびたびや訂正を繰り返しましたので、改めて新たにUPします。
わたしは政治に余り関心がありませんが、例えば「日本至上主義」の偏狭な考え方には賛成できません。あたたかく、希望の持てる普遍的な価値を好みます。自由・平等・友愛・平和・創造性などの。
自分の国だけを優先する、自分勝手な国には未来はありません。世界は、関係性で成り立っているからです。その証拠のほんの一端を示します。
わたし一人をとってみても、以下のどれ一つ欠けても、わたしという存在はありません。例えば、水・空気・海・空・植物・動物・諸々の生物・引力・地球・太陽・大宇宙・・・父母や限りない先祖からの連続・・・周りの人々や世界中の人々の働き・・・・・
つまり、あるのは無限の連続-関係性-その連鎖なのです。わたしという存在は、その関係性の別名であると言ってもいいのです。
わたしは、その連続する関係性の一部を形成する存在であると共に、逆にわたしは、それらの関係性を全て包含する存在(「主体」)である、と。わたしだけでなく、だれもが一人ひとりの人間が、そういうかけがえのない「主体」であるのだ、と。
このように、わたしという存在は無限の関係性そのものでもあるのであって、この関係性を排除することは、自分自身を排除しているのと同じなのです。わたしは、「わたし」だけで単独に完結する存在ではないのです。
ですから、「わたし」という存在は、その関係性の別名であると、今までに何度も述べてきました。。
戦争で傷ついた人の姿をニュースで見て、自分の心の中に「痛み」を覚えることがあるでしょう? それは、自分自身の傷つく姿を見て、「痛み」を覚えるのと同じだからです。この関係性の痛みは、人間にもとから備わっている「本性」なのだと思います。
ですから、この関係性の本質は「慈悲」なのだと、わたしは思っています。
だからこそ、人々は、「平和」を願わずにはいられないのではないでしょうか。
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「日本人ファースト」の先に見えてくるのは、力にたよる、普遍性のない偏狭なエゴイズムです。その冷たさです。
これを鈴木大拙は独りよがりの「島国根性」と言っていました。トーマス・マンは、これを「驕慢な地方気質」と言っていました。ここに未来はありません。
*鈴木大拙の言う「島国根性」については、「平和への願い 日本は世界性を持つべき」のリンク参照
「ファースト」とは、1・2・3の「1」でしょ。2や3はカヤの外なのです。
そして、2や3の排除を終えて「1」だけになったら、今度は残った「1」の内部に1・2・3が形成されます。これはファーストという排除の宿命です。
そして、「1」の中に形成された「2や3」が、また排除されます。この繰り返しが、連続して行われていきます。
そして、最後に地球上に最強の支配者が1人残ったとても、1人では孤独に耐えきれず、生きる希望も失います。また、この最後の一人は、この自分自身の「1」の中にさえ、「1・2・3」を形成して、「2・3」を排除ようとすることでしょう。
こうして、自身の排除のメカニズムによって、自らの命を絶つしかないのです。「日本人ファースト」にあるのは、このニヒリズムです。
排除は排除を生み、その繰り返しの連鎖の最後は自滅です。最初は、自分も「1」の仲間でいられるかもしれませんが、次には「1」内の「2や3」にされてしまうのです。
「落語」に、これとまったく同じ話が残っています。落語のような人間世界の経験にもとづく話の世界でも、このことは既定の事実なのです。主人公は最後に自殺します。
自分以外の人間を「不要なもの」として排除すれば、最後には自分自身も、その排除の論理によって、排除されてしまうのです。
* 前に「1・2・3を作るのも人間、1・2・3を超えるのも人間」という内容で、同様のことを書いていました。(最下段「差別を作るのも人間・・・」のリンク記事参照)
「日本人ファースト」は、自己中心のその場しのぎの刹那主義、つまり、その時はいいと思っても、次に排除されるのは自分だったという笑えない話なのです。そして、それと背中合わせのニヒリズムなのです。未来に待ち受けているのは、いずれ順番が回ってくる自己の排除という自滅です。
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ドナルド・トランプ氏が自身の政策の核として「アメリカ・ファースト」を掲げました。これが、「○○ファースト」の流行の先駆けでしょうか。この後、それを真似た政治団体が続出しました。
ここには、未来はないのです。こんなものを見倣ってはならないのです。
上記の関係性から、みずからを切り放し自分勝手な行動をすることを「エゴイズム」と言います。現代のその代表格はトランプ氏でしょうか。
彼は、地球の自然環境のことなど問題にしない、人間の命を大切にしない、自分の損得勘定しか眼中になきが如し。既に彼には自滅の兆候が見えてきました。
自らで掘った墓穴には、自らが入るしかないのです。自分さえよければよい、今さえ良ければよいという刹那主義=ニヒリズムの宿命によって。
それを見倣っている政治家が日本にもいます。「力」や「金」に頼る政治家たちです。これは、ドナルド・トランプの二の舞です。こういった政治家たちに、国民が巻き込まれてはたまったものではありません。彼等に「国民の血と汗の結晶である税金」を勝手に使わせてはなりません。福岡県議会の例などは氷山の一角でしょう? ここにも刹那主義=ニヒリズムが見られます。
高市政権の金を湯水の如く使う「責任ある積極財政」という「大ばくち」も心配です。この政策の実行によって、国民の出した税金は、成果として国民に本当に戻ってくるのでしょうか?
「やってみなければわからない」程度のことで、大金をつぎ込まないでほしいと思います。成功する相当程度の戦略と確信、緻密な計算がおありなのでしょうね? これも、消費税減税と同じポピュリズムなのでは? と疑いたくなります。
失敗した時の、つけは国民生活に重くのしかかりますし、その借金は国民が払わされます。そもそも、国民の出した税金を使ってやるのでしょう。
責任ある積極財政といっても、自分の金を使っているわけではないので、その請求書は国民に来るのですから、責任なんてない。政治家の実体のない言葉の「むなしさ」。
選挙で大勝した高市氏は、「政略」には長けているようです。しかし、「政略」と「政策」は別物です。「ポピュリズム」や「政略」だけではなく、しっかりと大地に足のついた、地道な実質的な「政策」を望みます。
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さて、日本には素晴らしい文化的な伝統があります。わたしは、この日本の文化的伝統の創造性に期待しています。
古いだけではだめです。伝統に「いのち」を吹き込まなければ、創造的なものでなければなりません。
この日本の素晴らしい文化的伝統にある普遍的な精神を、真っ向から否定するような「力」の政治では、だめなのです。
政治家が、もし「保守」を名乗るなら、日本のこの優れた文化的伝統を大切にして、即ち、その世界に通用する普遍的な精神を生かして、真に国民の幸福に通じる政治を行ってほしいと願います。
国民のひとりとして、政治家の方々には、普遍的な理念のある世界に通用する政治の実行を望みます。
*この記事は、ことしの2月6日に掲載した記事を、大幅に加筆訂正して全面的に作り直し、同じ題名の記事として発表したものです。
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差別を作るのも人間 差別を超えるのも人間 悠久なる「今」において
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