慈光茶を飲む -ときがわ風景- 



 「慈光茶」という大変めずらしい、貴重なお茶を飲みました。
 このお茶は、以前このブログで紹介した「町田屋旅館」でいただくことができます。

 町田屋旅館さんの前を通ると、「水出し慈光茶飲めます」という文字が目に飛び込んできました(上の写真)。どんなお茶なのか興味が湧き、是非賞味したくなりました。

 さっそく町田屋旅館さんにおじゃまして「慈光茶」をいただいたのでした。つめたく冷やされたお茶は、素朴ながら、さわやかな味わいがあり、暑い中散歩してきた喉は潤いました。

慈光茶の ほの香あふるる 時越えて  いろは
じこうちゃの ほのかあふるる ときこえて

 この時飲んだお茶をもう一度家でも味わいたいと思って、製品化されてお茶も購入しました(下の写真)。旅館のご主人から「慈光茶」の由来について、詳しく話を聞くことができました。

 


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「入間市博物館」のHPから 「狭山茶の歴史」

【慈光茶】

室町時代の永正4年(1507年)に、関東で書かれた『旅宿問答(りょしゅくもんどう)』に、武蔵国の銘茶として出てくる茶です。

ときがわ町西平にある天台宗の大寺院、都幾山慈光寺(ときさんじこうじ)で生産された茶と考えられます。慈光寺は、標高463メートルの都幾山一帯に広がる広大な山岳寺院で、鎌倉時代には鎌倉幕府の祈願寺として隆盛を極め、「一山七十五坊」といわれる多くの僧坊が山内に立ち並んでいました。

鎌倉時代に慈光寺の住職を務めた栄朝(えいちょう/ようちょう)は、『喫茶養生記』の著者である栄西(えいさい/ようさい)の直弟子で、建久8年(1197)に慈光寺山内に天台密教と臨済禅の兼修道場として塔頭(たっちゅう)の拈華山霊山院(ねんげざんりょうぜんいん:現在は臨済宗の寺院として独立)を開いています。その後、承久3年(1221)に栄朝は上野国(こうずけのくに)世良田(せらだ)(現・群馬県太田市)に長楽寺(ちょうらくじ)を開きます。南北朝時代の史料には「世良田茶」の名が確認できます。ちなみに、栄朝の弟子の円爾(えんに:聖一国師)は、静岡茶の祖として知られています。

都幾山の地質や気候は、良質な茶を生産する自然条件に適合していて、現在でも境内茶園があり、また、山内の参道沿いや僧坊跡を取り囲む斜面には、野生化したチャの木が至る所に繁茂しています。

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「読売新聞 オンライン」から

日本三大銘茶・狭山茶の起源の一つとされる「慈光茶」を復活するプロジェクトに、ときがわ町で旅館を経営している町田美喜雄さん(66)が取り組んでいる。室町時代まで慈光茶の栽培地だった慈光寺(同町)周辺に自生する茶の木から葉を摘み、製茶にこぎつけた。町田さんは今後、慈光茶を再び栽培して生産量を増やし、地場産業として定着させたい考えだ。(石井貴寛)