古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門- 桜の頃 〈越生町〉

古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉

4月10日、桜が満開のこの日に、埼玉県・越生町の古刹 龍穏寺(りゅうおんじ)を訪ねました。

龍穏寺への道のりの途中、大満農村広場の桜が満開で綺麗なので、車を止めその公園をしばらく散策してみました。その時の写真3枚。





古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉
大満農村広場から県道をしばらく行ってから、龍穏寺への細い坂道を車で上っていきます。なかなか着きません。しばらくしてから大きな山門が車窓に見えました。車は、駐車場に止めることができます。


古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉
山門は歴史を感じさせる佇まいです。


古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉
山門を過ぎると、春の陽射しが明るく桜も満開でした。すがすがしい気分になります。


古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉
だれもいない境内は落ち着いていて、心が和みます。


古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉

古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉
桜も気持ちよさそうに、思いっきり天へと背伸びしていました。

天の蒼々たるはそれ遠くして至極する所無き


古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉
山門を出て、駐車場の脇の急坂を登っていくと、古民家の「縁側カフェ」というカフェがありました。土曜日と日曜日だけの営業だそうです。この日は、平日だったのでお休みでした。

龍穏寺は、永平寺貫首への登竜門であった寺です。
水上 勉 の小説『良寛』を読んでいた時に、次のような記述に出合いました。

やはり、国仙亡きあと、 ・・・・・ 相当の智識が妥当とされたわけで、 ・・・・・ この玄達即中は、大器だった。円通寺には足かけ三年しかいず、寛政六年に武蔵の 龍穏寺 に転じ、この寺が関三刹の第一で、大本山永平寺管長への登龍門だったため、翌七年に永平寺五十世として管長位に登った。

この記述に関連する説明が、龍穏寺の中にありました(下の写真)。かつては、この龍穏寺の住職になることが、永平寺の貫首への道だったのですね。この龍穏寺から大本山永平寺の貫首を十三人も輩出していたのだそうです。
古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉

古刹 龍穏寺 -永平寺貫首への登竜門であった寺- 桜の頃 〈越生町〉