「限界まで自力ためさむと決す」 -萎えたるままに-

萎えたるは
萎えたるままに美しく
歩み納めむ この花道を

          鶴見和子

「限界まで自力ためさんと決す」  鶴見和子
鶴見和子は、77歳で脳出血で倒れ、左半身不随になりました。
体が不自由になったことで、魂が自由になった

・「最高のハレだと思う。死というのは。
 死ぬことほど晴れがましいことはないと思う。」

・「どんな場合でも、人間は死ぬまで創造することができると思うんです。」

・「病になって、はじめてゆったりとした時間を過ごすようになった。」

・「すべての人が、自分の中に埋蔵資源を持っているんです。
 その埋蔵資源を深くほりあげて、それに新しい形を与えていく
 それが創造というものなんです。」

15歳で佐佐木信綱に入門して、短歌を学ぶ。21歳で歌集を出す。
「それ以降、歌など作ってる暇はなく、歌をぜんぜん作らなくなった。
 自分が死ぬか生きるかの瀬戸際になったとき、
 歌が、急に身体の底から、吹き上げてくるのよ。

「歌をつえとして、生死の境を乗り越えた。」
「限界まで自力ためさんと決す」  鶴見和子
・「 完復は不可能と医師に知らされて
限界まで 自力ためさむ と決す 


倒れてから10年余りを生ききり、人間の埋もれた力を発掘し続けた鶴見和子

(以上:下記リンク「鶴見和子 NHKアーカイブス」より)
「限界まで自力ためさんと決す」  鶴見和子
萎えたるは萎えたるままに美しく歩み納めむこの花道を   鶴見和子
「限界まで自力ためさんと決す」  鶴見和子

<ウィキペディアより>

鶴見 和子(つるみ かずこ、1918年(大正7年)6月10日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の社会学者。上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。南方熊楠や柳田國男の研究などでも知られる。

・趣味:和歌や日舞、着物などの趣味の豊かさでも知られ、その方面の随筆、写真本などの刊行物もある。

・2007年7月28日に新宿中村屋本店で催された一周忌の集いには、美智子皇后も臨席した。鶴見和子本人も生前、明仁天皇と美智子皇后への深い尊敬の念を語っていた。
・父は政治家・鶴見祐輔。弟は哲学者の鶴見俊輔。
萎えたるは萎えたるままに美しく歩み納めむこの花道を   鶴見和子