篠田悌二郎 句集『四季薔薇』 と「仙川」の思い出 -出合いの俳句- 

春蟬や多摩の横山ふかからず 篠田悌二郎 句集『四季薔薇』 -出合いの俳句-


篠田悌二郎のいくつかの句を「フレージング」していたところ、その句集が急にほしくなりました。そして入手したのが、この『四季薔薇』という句集です。句集のいくつかのページの写真をご覧になって頂ければお分かりのように、有名な句もあり、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

彼の初期の三百ほどの句を集めた第一句集です。抒情的な大変美しい句が多く、時にはこんな世界にしっとりと浸っていたい時もあります。数年間だけ少し短歌をかじっていたことがありましたが、やはり抒情的な世界には魅了されます。

 春蟬や多摩の横山ふかからず 篠田悌二郎 句集『四季薔薇』



春蟬や多摩の横山ふかからず  篠田悌二郎

京王電車が、仙川、金子あたりにかかると、左の車窓に、多摩川の磧をへだてて、低い丘のはじまっておるのが見える。・・・・・東は神奈川県橘群に、西は東京府南多摩郡に属しているのである。この丘陵が「多摩の横山」と呼ばれるところのものである。」と水原秋櫻子が書いています。

水原秋櫻子には、情趣あふれる句がたくさんありますね。

この沢やいま大瑠璃鳥のこゑひとつ  水原秋櫻子

この句大好きです。この神秘的な美しさ静けさ。この沢に大宇宙を感じます。マーラーの大自然、マーラーのアダージョが響き渡っているかのような。


さて、この中の「仙川」という言葉で、すぐ思い出したことがあるのです。若い頃、友人が「仙川」のアパートに住んでいました。その頃時々、この「仙川」の部屋を訪れていました。そして、その頃はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」のLPレコードを一緒によく聴いていました。(当時発表されたリヒテルやグルダのものです。)その思い出の部屋とバッハの音楽が、「仙川」という言葉で懐かしく蘇ってきました。秋葉原まで、その友人とスピーカーを買い出しに行った思い出もありました。レコードプレーヤーに「オルトフォンのカートリッジを取り付けた」と友が誇らしげに語っていたことまで、今、思い出しました。

まったく句集とは関係ない話ですが、なにかこの思い出の「仙川」とともに、この句集がより親しいものとなってきた気がします。
再び、時々はこの句集を読み返して、この抒情の世界にたっぷりと身を浸すことにいたしましょう。

では、著名な句の載っているページだけをいくつか紹介していきます。
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青蚊帳の海の底ひに寝しづもり

 これも何と神秘的な句なのでしょう。上の秋櫻子の句と同じように、静けさとともに永遠を感じます。そう言えば、「永遠」という言葉で、上記の仙川の友をたずねた頃の青年の日々、都会風景の中に「永遠を切取り」に、ひとり街中を歩きめぐったことを思い出します。切取った風景(経験)を詩もどき言葉に写そうとしていたのです。まあ、これも未熟な青年時代の思い出のひとこまです。



春蟬や多摩の横山ふかからず



海照ると芽ふきたらずや雑木山



蘆刈のしたゝり落つる日を負へる



鮎釣や野ばらは花の散りやすく



篠田悌二郎 『四季薔薇』

春蟬や多摩の横山ふかからず 篠田悌二郎 句集『四季薔薇』