大自然の大いなる掌の上で遊ぶ



唯識では、「一人一宇宙」ということを言うそうです。わたしも、その言葉を使わせていただいています。(ただし、わたしのは、唯識でいうそれとは同じものではないと思いますけれど。)
一人ひとりが「一宇宙」であり、大空に舞い上がり、大きく円相を描く鷹のようなものです。(この写真の田舎の空を、鷹は大きな円を描きながら悠々と飛んでいます。)

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹     寺山修司

めつむりて いてもあをすぶ ごがつのたか

(寺山の句を、ねじ曲げて次のように、使わせていただきます)

目つむりているが故に、本当の自分の姿は見ることができないが、自分の中なる大自然は、その大いなる営みの中に、吾(われ)を統(す)べている。

たとえ、どんなに自分が自信をなくしても、不安の中に震えていても、自分が自分を見捨てたとしても、自分の中なる大自然は、「吾(あ)を統ぶ五月の鷹」であり、その大いなる営みの中に、いつも吾を統(す)べて、吾を維持し見守り包んでいる。
(と、わたしは、思っています。)

ですから、ブログもつまらんなあ、俳句もつまらんなあ、と時には思ったとしても、

大自然の大いなる掌の上で遊ぶ  いろは

だいしぜんの おおいなるての うえであそぶ