鈴木大拙館を訪ねて *大拙の言葉  

★以前書いた「西田幾多郎記念哲学館・鈴木大拙館を訪ねて」の記事から、鈴木大拙館の記事を独立させて、ここに新たに加筆して、記事を更新しました。


大拙氏の示唆に富む言葉から、わたしは、今までいろいろと教えられ続けてきました。
そこで大拙氏とその秘書をしていた岡村美穂子氏との対話を最初に紹介いたします。

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ある時、大拙先生がテーブルをトンと叩いて、私(岡村美穂子氏)に質問しました。

「今の音を、どこで聞いたか? 美穂子さん。」

そう大拙先生が、私にたずねられたので、ふつうは耳で聞きましたと言うのでしょうが、私は精一杯考えて、賢く「(私はその音を)身体全身で聞きました。」と大拙先生に答えました。

すると、大拙先生はおっしゃいました。

「いやいや、そんなけち臭いもんじゃない。
 全宇宙が聞いたから、美穂子さん、あんたが聞いたんじゃ。

つまり、真実というのは、ここからここまでと限定されたものではないんだ、そんなけち臭いものじゃないんだ と。

それが、「」だと大拙先生はおっしゃるのです。
「無」というのは、余すところがない。だから「無」なんだと。どこをみても余すところがない。

(このように、大拙先生はおっしゃいました。)

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 かつての「鈴木大拙館」の館長を務めていたのが、上の大拙氏との対話に出てくる岡村美穂子氏でした。岡村氏は、晩年の大拙氏の秘書をしていた方で、大拙との興味深いエピソードをいろいろ語っておられました。(岡村氏は、最近亡くなられました。)

 その岡村氏が、大拙氏について語る番組が放送されたことがありました。上記の大拙氏との対話はその中のものです。このエピソードは、わたしの心に残った話でしたので、紹介してみました。このエピソードは、岡村美穂子氏が大拙氏の秘書になるずっと以前の、まだ十代か二十代初めの頃のエピソードだと思います。

 それでは、鈴木大拙館の様子を写真で紹介いたします。金沢市の鈴木大拙館を訪れたのは、2024年10月16日(水)でした。

 コロナ禍以前より、かねてから訪れようという願いを持ちつづけていた鈴木大拙館でした。この度ついに、この館を訪れることができました。


 西田幾多郎記念哲学館を訪れた後に、鈴木大拙館へと向かいました。

 石川県立美術館の裏の「美術の小径」の階段(写真)を下って、「緑の小径」を通って「鈴木大拙館」へと歩みを進めました。



「美術の小径」、「緑の小径」と大変静かな落ち着いた雰囲気のある小径でした。

 人々の憩いの場となっている犀川のほとりで、世界的な仏教哲学者 鈴木大拙は生まれました。大拙 生誕の地 本多町に鈴木大拙館はあります。庭には大拙が子どもの頃からあるというクスノキが今もあるといいます。大拙の父は、お医者さんであったとのことです。



鈴木大拙館の受付で、西田幾多郎記念哲学館から来たことを申し出ると、そのままで大拙館に入ることができました。



 来館者自らが思索する場となることを目的に開設された館内は「展示空間」「学習空間」「思索空間」の3つの空間が回廊で結ばれています。



 D.T. Suzukiとして世界で知られる鈴木大拙は金沢が生んだ仏教哲学者。大拙の考えや足跡をひろく国内外の人々に伝えるとともに、来館者自らが思索する場となることを目的に開設されたそうです。




「設計は国際的な建築家・谷口吉生氏。」





 周りにはこのような小径がいくつかあり、この小径を進むと静かな落ち着いた雰囲気のある場所があります。「まちなかにある深い静寂」に心が和みます。



 館の周りの緑に覆われた小径をしばし散策しました。この緑の木々を眺めながら、大拙がかつて語っていた言葉をふと心に思い浮かべ振り返りました。