「初七日」にモーツァルト


 義理の母が亡くなり、葬儀を終えました。そして、今日は初七日。で、亡くなった義理の母にモーツァルトを聴かせました。

 母が母本人になるまでには、両親が2人いて、おじいさん・おばあさんが4人いて、8人、16人、32人と・・・・・数十代さかのぼると、何十億人にもなるそうです。僧侶の方が言っていました。

 母には(わたしにも、あなたにも)、こういう「大きな命の背景」があります。
 だからたとえ母が命を終えても、母の命の背景である「いのちの本体」は生き続けているということ。この「大いなるいのち」は生きている。

 そして、わたし自身も古稀なので、もう少ししたら、「大いなるいのち」の中に、即ち自分のふるさとへ還って行く。そのことに多少は親近感を感じないでもない。

(本来、生まれる前から「大いなるいのち」の中にいるし、この娑婆世界に生きている間も「大いなるいのち」の中にいるし、この世の命を失った後も「大いなるいのち」の中にいる。とわたしは思っています。)

 もちろん、生身の人間ですから、病気もするし、病気の苦しみものぞまない。死の恐怖もあります。また、死別することはつらく悲しい。この世に生きることはそういうことです。(人間は、知恵の実を食べてしまったのですから、仕方ありません。分別知を得てしまったのですから。人は、言葉によってものを分け隔てますから。仕方ありませんね。)

 義理の母は死をもって、「大いなるいのち」の存在を想起させます。

 それで、「初七日」にモーツァルト。「大いなるいのち」即ち義理の母とともに、モーツァルトの音楽に包まれつつ、夕べを迎えようということです。
 裏の若竹の林からは、涼しい風がこの窓を抜けていきます。

   若竹の葉はたおやかや窓の風    いろは
 わかたけの ははたおやかや まどのかぜ
 
 聴いた曲は、モーツァルト弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 KV465「不協和音」

第1楽章 「ハイドン四重奏曲」の中でただひとつの、ゆるやかな不協和音程をもった序奏を持つ楽章。序奏は、不安定な感じで始まり、おごそかな感じに。アレグロで明快な第1主題。明るく軽快でチャーミングでさえあり、喜びに満ちた表情で進んでいきます。展開部では、変幻自在に展開し、再現部へ。

第2楽章 アンダンテ・カンタービレ ヘ長調 4分の3拍子 ソナタ形式(展開部なし) 美しい音楽の始まり、ヴァイオリンの奏でる哀しみの旋律。その美しいこと。

第3楽章 メヌエット;アレグレット ハ長調 4分の3拍子 3部形式 トリオでは、疾走するような哀しみ。思いつめたような哀しさが展開。

第4楽章 アレグロ・モルト ハ長調 4分の2拍子 ソナタ形式 忙しく走り行くような曲想ではじまり、力強さも。展開部では、やや憂いを含めて忙しく展開。

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