〈いろはno思いこみ鑑賞〉
★いろはが思い浮かべた下の情景は、まったく的外れな情景であるかもしれませんよ。よくやってしまうのです、とんでもない情景を思い描いてしまうことを。この俳人のこともまったく無知ですし、ただただこの17文字からだけ、思い描いた妄想ですから。悪しからず。
母の日の水中に皿滑走す 磯貝碧蹄館
「母の日なので、母に感謝して息子が、一生懸命慣れない皿洗いをしている。その皿洗いは、皿が滑走するほど元気の良い洗いっぷりである。母親は、皿が割れないかと少し心配しながらも、息子の成長を嬉しく思い眺めている。」
こんなことを、これまでは漠然と思い浮かべていました。
ある日、昼食の後の皿洗いをしていた時です。頭の中にこの句が浮かんできました。この句を口ずさんでいると、新たな光景が目に映ってきました。
「滑走す」という言葉を起点にして、台所の洗い桶の水中に収まりきれないイメージが湧いてきました。この皿は、大海原までとび出して行ってしまいました。大海に抱かれながら、その中を大胆に動き回っている「皿=男の子」が想像されます。
同時に「母の日」の「母」という大きな「海」が想起され、大自然の大きさ、おおらかさ、あたたかさを感じました。この大きな海の中を滑走する「皿」、元気な「男の子」の生き生きとした姿。
この男の子を見守っている、大いなる母なる海という大自然。見守られ生かされ、安心して滑走し続ける皿。
母の日の水中に皿滑走す
*〈いろはno思いこみ鑑賞〉については、下のリンク参照