俳人 金子兜太のふるさとを訪ねて -出合いの俳句-

金子兜太のふるさとを訪ねて -皆野町 壺春堂(こしゅんどう)-
 所在地: 〒369-1412 埼玉県秩父郡皆野町1168番地(金子医院) 壺春堂



 金子兜太さんのふるさとを訪ねたのは、2023年10月27日、秋晴れの本当によい天気の日でした。秋晴れといえば、

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子   金子兜太

を思い出します。こんな天気のよい日の秩父の子どもたちのやんちゃな姿が目に浮かんできます。



 車の到着した場所は、裏口にあたる場所だったようです。古い蔵がありました。また、「金子医院」の古い看板もあり、昔はこちらが表だったのでしょうか。

 この蔵のわきを通っていくと、壺春堂がありました。



 残念ながら、休館日のようで鍵が掛かっていて中には入れません。金子医院も休診日のようで、今日は共にお休みのようです。それでも、兜太さんの育った土地や建物、周りの様子をこの目で見ることができました。


 *この写真は外から窓ガラス越しに撮った写真です



 壺春堂の前には、かりんのようなものが干してありました。この壺春堂の雰囲気をよく味わった後は、兜太さんの育った皆野の町を散策しました。



『語る兜太』(岩波書店)の「金子兜太95歳自選百句」から、兜太さんの作品をいくつか書き出してみます。

山脈のひと隅あかし蚕(こ)のねむり  金子兜太
        




水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る  金子兜太

 さて、皆野町の中を散策してみましょう。上の写真のように、「秩父音頭のふるさと」と「非核平和都市宣言の町」という看板があり、その間に火の見櫓が立っていました。ふたつの看板と屹立する火の見櫓を見上げながら、金子兜太のことを思いました。

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む  金子兜太

 そこを立ち去り、近くの道路でわたしは横断歩道を渡ろうか渡るまいか迷っていました。渡るのをやめて、少し引き返しはじめた時です。向こうからやって来た車が、歩道の老人(わたし)を見てすぐに止まってくれました。親切に止まってくれましたので、引き返すのはやめて、横断歩道を渡ることにしました。もちろん、御礼の会釈のお返しをしました。皆野町の方は、とても親切だなあと思いながら。

 「みんなんち」という観光案内所のような建物がありました。そのシャッターには、祭りの写真と共に秩父音頭が書かれていました。確か秩父音頭って、兜太の父親の金子伊昔紅(いせこう)が作詞したとか。(「秩父盆踊の歌詞を自ら作詞及び公募し、将来の節まわしや踊りの型を整えた」そうです。)

谷間谷間に満作が咲く荒凡夫  金子兜太



うまい! 蕎麦

 ちょうど昼食時でしたので、蕎麦屋に入りました。地元の人々が昼食時よく利用しているような町中のそば屋「みなみ」という店です。天ぷら付きのざる蕎麦を注文しました。待っている間、天ぷらを揚げる音が聞こえてきます。いい雰囲気です。

 できました。出てきた料理を見てびっくり、思わず「豪華ですねえ」と言ってしまいました。この物価高の中、千円ちょっとでこれだけのボリュームです。しかも、蕎麦の美味いこと。そして、このそばのボリューム感。美味しい蕎麦をいただき満腹に。


  皆野町の地形は、周りは山に囲まれていて盆地のようです。その中に小さな町があるという感じです。町の中を散策していても、のんびりとした落ち着きのある町でした。

春落日しかし日暮れを急がない  金子兜太




ぎらぎらと朝日子照らす自然かな  金子兜太




 皆野駅です。秩父鉄道が通っています。線路をみると何か旅情を感じてしまいます。特にローカル線の線路には。

定住漂泊冬の陽熱き握り飯  金子兜太



駅にある観光案内板には、「金子兜太先生句碑巡り」の文字も。




 帰り道、皆野町の狭い道を車でゆくと、対向車の運転手が、「すまんなあ。こんな狭い道に入ってきて。」という感じで、片手をあげて合図をよこしました。こちらも、狭い道を走っていたので、「お互いさま」と片手をあげて合図しようとしましたが、時既に遅く通り過ぎていました。

源流や子が泣き蚕眠りおり  金子兜太

 この短い時間に、皆野町では二回も町の人の親切に出合えました。今日は天気もよく、ささやかな、しあわせな小さな旅ができました。


狼生く無時間を生きて咆哮  金子兜太