少年の日の思い出 母逝きて


川崎市戸手町・川崎市 御幸小学校・京濱女子商業学校・三菱銀行 横浜 鶴見支店・母の死
古稀を迎える歳になり、最近なぜか亡き母のことをよく思い出します。母を亡くしてから既に50年以上が経過して、完全に過去の歴史となってしまったのにも拘わらず。

このブログは、古稀を迎える人間の終活の一環(遺書-メッセージ-振り返り)として始めたものなので、今回は母のことや自分の少年の日のことを、子どもたちへの伝言のつもりで書かせていただきました。*こんな個人的な内容ですから、興味のない方は、スルーしてくださいね。

アンダルシアのひまわり」で書いたように、母は49歳で亡くなりました。早く逝ってしまったので、母の生い立ちについては全くと言っていいほど知りませんでした。

ところが、わたしが定年後の61歳になった時にはじめて、それまでは見たこともなかった、母の青春の日のアルバムが在ることを知りました。これにより、当時の母の生活の様子を垣間見ることができるようになりました。そのアルバムをめくって、母の若い頃の写真を眺めているところです。

〈定年後初めて見た母のアルバム〉
*もうすでに古い写真なのでぼかしなどの修正を加えず、そのまま掲載してしまいます。

*「女学校時代のグループの集い」の写真:昭和15年卒業の年の写真
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*「女学校時代のグループの集い」の写真:昭和16年  卒業1年後再会の写真
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当時、母は川崎に住んでいて、女学校の頃の写真には、「厳寒の中に咲く白梅、心の友と美しい先生と共に」とか乙女チックな言葉が書いてあり、「この頃の私が一番幸せだった」とも書かれていました。

*「三菱銀行  鶴見支店女子  防空服で」という写真。横浜の三菱銀行の鶴見支店に勤めていた当時の写真。防空訓練の写真か?
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*「心は急ぐ 春は楽し」という写真。職場の同僚の友だちと、歌舞伎を観に行く前に撮った写真だそうです。時々、友だちと歌舞伎などを楽しんでいたようです。
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「千曲川にて」、「善光寺前にて」という銀行の職員旅行 や「奥多摩へのハイキング」の写真もありました。戦時中でも、旅行やハイキングに行けたのでしょうか。母にも青春時代があったのだなあとつくづく思うとともに、戦時中でも、それなりに幸せな青春時代を過ごしていたんだなあと、ほっとしました。

しかし、この幸せもつかの間で、当時母は川崎に住んでいましたが、戦争のためか、祖父(母の父)が亡くなったためか、祖母(母の母)の実家のある埼玉の田舎に帰ることとなりました。そして、結婚したのでした。都会育ちには勝手の違う慣れない田舎の生活に苦労したということです。そのために命を縮めたのではないかと、母が亡くなった時、周囲の人々は言っていました。


〈少年の日に 母逝きて〉

自分の少年の日のことも蘇ってきます。母との思い出は少年の日までで、それ以降は、母との思い出を持つことは不可能となってしまいました。

春浅い日、母が亡くなりました。父が、母を「掘り起こしたいほどだ」と言っていたのを今でも覚えています。葬儀が済んだ後の日々。わたしは、その喪失感を癒やすために、よく夜空の星を眺めていました。

星をじっと眺めて、一人だけの時間を味わっていたかったのです。



夜空の星を眺めていると、なぜか落ち着きます。やがて心が安らいできます。この星を見ているのは、この世界で自分ひとりだけ。ひとりだけの夜空がここにある。

星を眺めていると、いつしか、星がわたしを見つめているように思えてきます。わたしが星を見ているように、星がわたしを見つめている。はるか彼方に星が輝いているように、はるか彼方地球の上で何かが輝いている。

無限の距離を隔てて、このわたしが見られている。母は既に無く、励ましてくれる人はいなくとも。星に見られているような安らぎ。素直な、すがすがしい心持ちが、いつしか訪れるようになってきました。かつての「悲しみ」は「かなしみ」のままに

 母逝きて涙澄みゆく春の星   いろは

志賀直哉の「暗夜行路」にも、山中でひとり夜を過ごした主人公が、暁の大自然の中でいつしか蘇っていく感動的な場面があったと記憶しています。大自然の中での、このような蘇生の感覚は、人間だれしも本来持っているものなのでしょう。

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ヘルマン・ヘッセの雲」を見ていても、同じような感覚が蘇ってきます。

今となっては、遠い遠い日のかなしくも懐かしい思い出となりましたが。

 母逝きてなごり色なる春の月   いろは
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*「川崎市御幸小学校昭和9年度尋常科卒業生」とある母のアルバム写真
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*「そぼ降る小雨に濡れながら、奥多摩ハイキングからの帰り道」とある母のアルバム写真(職場の同僚とのハイキングの帰り、男性の同僚も呼んでの記念写真でしょうか。)
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★これらの写真を見て、横浜か川崎あたりの人で、「この写真みたことある」「うちのおばあちゃんじゃないの」とかいう人がいたらうれしいのですが。相当高齢の方でないとほとんど関わりはないでしょうけれど。
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